老いを生きるために

65歳以上の高齢者のいる世帯は、平成262014)年現在、世帯数は23,572千世帯と、全世帯(50,431千世帯)の46.7%を占めています。65歳以上の一人暮らし高齢者の増加は男女ともに顕著であり、平成222010)年には男性約139万人、女性約341万人、高齢者人口に占める割合は男性11.1%、女性20.3%となっています。

最近日本老年学会・日本老年医学会が「高齢者」として定義される年齢の引き上げを提案しました。現在は65歳以上が「高齢者」とされていますが、それを75歳以上とし、65歳~74歳は「准高齢者」とするという提言です。内閣府が60歳以上の男女を対象にした調査でも、自分が高齢者であると感じる人は、65歳~69歳では24.4%しかいないとのことです。70歳~74歳でも47.3%に留まっており、高齢者自身の意識も若返っているといえるかもしれません。日本老年学会は、年齢区分の再検討によって、「従来の定義による高齢者を、社会の支え手でありモチベーションを持った存在として捉えなおす」ことができ、「迫りつつある超高齢社会を明るく活力のあるものにする」ことができるという考えのようです。しかし、一方で社会保障が削減されるのではという危機感を抱く声もでています。

確かに言葉だけが一人歩きしてしまうこともあります。だが、それで高齢者の意識が変わるとは思えません。結局は一人一人の気の持ちようではないでしょうか。人生50年と言われていたときからそれほどの年月が過ぎているわけではありません。日本は急激に高齢者社会を迎えることになってしまいました。すべての原因はそこに由来するのかもしれません。これはシステムの構築についても、高齢者の意識についても言えるのではないでしょうか。仕事世代を卒業してからをうまく生きている人はさほど多くはないように思えます。

生きているものはすべていずれは死を迎えることになります。生きているもののその生きる長さもさまざまです。しかし、心臓の打つ回数はどの生きものもさほど変わらないようです。生きている時間は案外同じなのかもしれません。同じ人間同士でも生きている期間はさまざまですが、「時間」はさほど変わらないのかもしれません。死は生の中に組み込まれています。死がなければ生もあり得ないのだそうです。死は生の完結ではなく、生命の循環を満たすための潤滑油なのかもしれません。個体としては消滅するわけですが生命は受け継がれていくのだと思います。

「死」を生きるときまで、僕たちは「生」を生きなくてはなりません。その期間はさまざまでしょうが、どう生きるかどう生きられるか、僕たちは若いときと変わらず右往左往することになるのだと思います。その揺れ動く想いを楽しめたらと思います。若いときとは違う積み重ねが、そうした想いを楽しみとしてくれるのではないでしょうか。

この「老いの学習室」では、その「想い」を楽しむための情報を発信していきたいと思っています。いずれ皆さんが集える「広場」を作りたいと思っています。そこではさまざまな「想い」を楽しむ場所にできればと思っています。当面は「老いの学習室」で皆さんの「右往左往」のお手伝いができればと思っています。

死ぬというのは面白い体験ね。

こんなの初めてだワ。

こんな経験するとは思わなかった。

人生って面白いことがー杯あるのね。

こんなに長く生きてもまだ知らないことがあるなんて面白い。驚いた。

 

二〇〇六年七月三十一日に逝去された、鶴見和子さんの最期の言葉である。

この言葉を受けて弟俊輔さんが、

「そうだよ、人生は驚きの連続だよ」

と答えられ、お二人で大笑いなさったという。

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